出来損ないが語る教育論
どうもこんにちは。10月末に体調を崩してから4キロほど体重が落ちた「ほしのや」です。激ヤセ!?系の胡散臭い広告に使えそうですね。
時間が空いたが、飛田新地の話をしたので次は真面目な話をしようと思う。
突然だが皆様は、自分が受けた「教育」というものを客観的に論じることができるだろうか。
教育(きょういく、英語: education)は、教え育てることであり、ある人間を望ましい状態にさせるために、心と体の両面に、意図的に働きかけることである。教育を受ける人の知識を増やしたり、技能を身につけさせたり、人間性を養ったりしつつ、その人が持つ能力を引き出そうとすることである。
義務教育に関しては、日本人である限り一定の担保が保たれているので、ここでは親子間の教育について私は言及しようと思う。
世の中には多くの教育論が蔓延っていると思うが、多くの教育論は「親」の立場で書かれたものである。
私は「子」が受けた教育を言語化し、二度と私の後に『ドンキでオナホールを万引きして補導され、親を泣かせる』子供が出来上がることのないように啓蒙していきたい。
目次
1 教育の失敗例
2 子供の環境差
3 言葉の影響力
4 出来損ないの今
1.教育の失敗例
先んじて私が伝えたいことは「教育に成功も失敗もない」ということである。
隣の芝生は青いと言うように、人それぞれに成功の面と失敗の面があると私は考える。
例えばネグレクトを受け続けた子供が大人になった時、「生きるため」の力が周囲よりもずば抜けていた場合、第三者から見ればその教育は正しいものに見えるかもしれないが、当事者からすればたまったものではないはずだ。
つまり、『第三者の視点から見れば』教育に成功も失敗もないということである。しかし、私が伝えたいことは、『当事者から見て教育が成功か失敗か』である。
結論から言えば、私の教育は「失敗」であった。
勉強せずに万引を繰り返し、ゲーセンにたむろして毎クールアニメを30本見ている子供の教育が成功な訳がない。
私の教育が失敗であったことは「親子ともに認める事実」である。母はよく私に「育て方を間違えた」と言っていた。
母がどのような考えから私の教育を失敗と決めるのか、その答えは母にしかわからないので、私が私自身の教育を失敗だと考える理由をここに記す。
私の家庭環境は若干複雑である。小学2年生の頃に父が母を殴って家を出ていったのを覚えているが、私は父に継続的に会うことを許されていた。「子は両親と会う権利を持つ」という祖母の考えが尊重されていたからである。
もちろん暴力は褒められたことではないと思うが、私がこの文章をしたためていること自体が、母への言葉の暴力になりうるので父と同じ穴の狢である。親子は離れていても似てしまうのかもしれない。
このような理由から、私への教育は母が全てを管理していた。
悲しいことに、定期的に会っていた父の思想が私の血肉となっていたことが今となってはわかるが。
母と私、二人きりの生活では、母の考えや言葉は絶対であった。
母と2人で暮らしている時の母の口癖がある。
私が「なぜ?」と聞いたとき
「常識だから」
「当たり前だから」
私が反抗をしたとき
「なら1人で生きていけば?」
「育て方を間違えた」
「お父さんに似たね」
「産むんじゃなかった」←人生で一度しか言われたことはないが、強烈に覚えているものである。母は言った事実を認めようとしないが。
今でも事あるごとに
「私の方が長く生きているのだから、私の言うことが正しい」と言う。
これらの言葉を聞きながら私は母のもとで反抗期を迎えたわけだが、教育の結果出来上がった子供の思想は
「常識」なんて関係ない。自分が楽しければ非常識でも良い。
年齢を盾にする人間ほど、年齢以外で人に誇れるものがない。
この二つである。ロクでもない思想だと思うが、私は正しいと思っている。
しかし私はこの思想がマイノリティであることを理解しており、他者に押し付けようとは思っていない。あくまで、これらの思想を持つ親に教育を受けた結果が、今の私の思想であることを理解してもらうために例に出したに過ぎない。
私は失敗例であろう。勉強は苦手で、得意なことはこれといって無い、しかし口答えの多い子供であるが故に鬱陶しい。
つまり「出来損ない」を育てる条件は
・子供から思考を取り上げる
・親の持つ『教育の義務』を放棄しようとすることで子供を支配する
・『年齢』というただの数字でしかないものを根拠として、人の言論を取り上げる
これらが挙げられる。
子供を「出来損ない」にしないためには、これらの逆のことを意識し続ければ良いのだ。
2.子供の環境差
長々と失敗例を述べたが、成功例を取り上げ、幼少期の教育環境差について考察していきたい。
私には幼なじみがいる。詳細はこちらに記す。
全員県トップ高校の出身で、名だたる大学に在学、卒業している。
友人の1人に、親にどのような教育を受けたのかを聞いたところ、以下の事象を確認できた。
①.幼少期に勉強を強制されたことがない(くもんは行っていた)
②.親自身がよく本を読む
③.合わないと思った習い事などを簡単に辞めることができた
①.幼少期に勉強を強制されたことがない
もちろん彼がとても努力していたのを知っているし、彼と私の差は教育だけではなく人間としての性質もある。『幼少期に勉強を強制されたから私は出来損ないになったんだ!』という主張をしたいわけではない。あくまで一つの例として参考にしてほしいがゆえに記そうと思う。
私の受けた教育とは対極のものだ。ただ、私はこれを放任主義と捉えているわけではない。
私が勉強の仕方を学んだのは、高校を卒業し、浪人している時期であった。
勉強の仕方を知らない子供が勉強をしたいと思うだろうか。
『どのように勉強すれば点数が伸びるのか』
『何のために勉強するのか』
『自分に合う勉強法は何か』
こうした『勉強するための下積み』を重ねていない状態で、ただ「勉強しなさい」と言われる子供がとる行動は明らかであると思う。
私の場合は机の下でゲームしたり、◯◯◯ーをして時間が経つのを待っていた。伏字は察してほしい。
ルールの知らないゲームをやろうと思わないのと同様に、やり方のわからない勉強などするはずもない。
勉強の方法を知っている親の背中を見て、下積みの部分から教わるような教育がなされれば、少なくとも出来損ないが生じる可能性は減るのではないか。
②.親自身がよく本を読む
私は、子供は親のやっていることを真似したがる生き物だと思っている。親がテレビをよく見るのであれば子供もテレビをよく見るし、親が勉強をしているならば一緒に勉強をしようとするのではないだろうか。
私が大好きな本『犬と私の10の約束』の約束の一つに以下の文言がある。
あなたには学校もあるし友だちもいます。でも私にはあなたしかいません。
(You have your work, your entertainment, and your friends. I have only you.)
この文章は犬目線であるが、親子の関係にも言えるのではないかと思う。
親は自身で選択してきた結果としての居場所や友人がいるが、子供には『ただ同じ年に生まれただけの子供社会』と親、その他少しの習い事があるだけである。
子供が成長要因は学校ではなく、親との共同生活の中に多く含まれるのではないかと私は考えている。
③.合わないと思った習い事などを簡単にやめることができた
世の中では『継続は力なり』『水滴岩を穿つ』『石の上にも三年』などのことわざが美化されている。もちろん私もこのような考えを持つが、それは『好きなことをやっている場合』のみに限ると考えている。
特に子供の場合、体感時間が大人の2倍以上ある。『我慢』のハードルが大人よりもはるかに高いと思う。
「将来役に立つから」と言われ、やらされる習い事にはなんの価値もない。
自分で興味を持ち、自分で学ぶ姿勢を持ち続けることができる物事が、子供の成長を促してくれるのだと私は考える。
一つのことを嫌になりながら継続しても、それは自分の血肉とならないのではないか。たくさんの物事を経験して、自分がやりたいと思ったこと、自分が合うと思ったことにコミットする方が精神的にも楽だと私は思う。
嫌な仕事は残業したくないけど、楽しいことは残ってでもやりたいと思わないか。
大体三ヶ月で自分に合うか合わないか、休日でもやりたいと思うか思わないかはわかるのではないだろうか。
話が逸れたが、母の場合『途中で辞めることは悪』という考えが強かった。やりたくもないこと(少年野球)をずっとやらされる苦痛は今でも覚えている。小学生の体感時間は本当に長いから嫌な記憶として脳裏にこびりついている。
もちろん小学生がこのようなことを言っても母が受け入れることはなかった。なぜなら『子供より親が絶対に正しい』という考えの人間だったから。その根拠は年齢だけだが。
3.言葉の影響力
子供は親から言われたことをよく覚えているものだ。親は全く覚えていないから、私が親になった時この事実だけは肝に銘じたい。
私が言われたことある言葉のほんの一部だが記そうと思う。
「育て方を間違えた」
「お父さんのところに行けば」
「私がこんなに疲れているのに、何であなたはいうことを聞いてくれないの。」
「産むんじゃなかった」
「お父さんに似たね」
罵詈雑言のオンパレードである。子供の心がひねくれて現在に至るのも仕方ない。
当時は母もとても忙しかったし、ストレスが溜まってこのような言葉を言ってしまっても仕方ないと『今なら』思えるが、当時はそんなことわかるわけないし、私にただただフラストレーションが溜まるだけであった。よく非行に走らなかったと思う。
万引きは非行じゃないって尾崎も言ってた。
母のいろいろな言葉の影響で、今では母が全く望んでいないような子供が出来上がった。安定など程遠い、ただ面白いことを追求していく私だ。
4.出来損ないの今
現在私は親元を離れ、多様な経験をしようと心がけている。12月には個人事業主の開業届を出す予定であり、カメラマンとして仕事を受けるために営業をしたり、Webコンテンツの会社にインターンとして働いたり、内定先以上の会社を探したりしている。
私は自分のことをこの世で一番愛している。
自分の幸せとは何なのか、それは好きなことに邁進できる環境が整っていることだと思った。
現在は一人暮らしで大学もあまりなく、好きなことばかりやっているが、社会に出たら仕事ばかりの人生になる。その仕事が私を不幸たらしめるのであれば、私は私のことを愛せなくなってしまうだろう。
だからこそ改めて就活をしてみようと思ったのである。内定先をキープしたまま、自分の幸せを見つけるために歩みを進めてみようと思った。
今までたくさん失敗してきたからこそ、自分の選択で自分を失敗に導きたくない、そのように考えている。